■産院・保険・費用などについて | |
ハンドルネーム | フラット & アレックス |
ホームページ | 豪州田舎珍日記 |
地域 | VIC |
出産日 | 2005年12月23日 |
産院や妊婦検診として利用した施設 |
Geelong Hospital(公立病院) Midewife clinick |
出産の形態 | 無痛分娩から緊急帝王切開 |
利用した保険 | メディケア |
かかった費用 | 公立病院なのでただでした |
■妊娠中について | |
●妊婦検診の方法(施設、時期、回数、費用など) | |
Midewife clinic 4週ごとの検診が11回、週2回の検診が1回 | |
●妊婦検診の基本的な内容 | |
血圧検診、尿検査、おなか回りの測定 | |
●妊娠中の検査 | |
妊娠がわかった時点で、もろもろの諸検査をしました。
その後妊娠28週目前後で、、糖を図る検査
32週目前後で、膣の中を調べる検査がありました。
検査はすべて、Pathologyで行い、費用は無料でした(メディケアでカバーされていた為) | |
●妊娠中のできごと | |
マタニティーブルーといわれて、カウンセラーとともにマタニティーブルーを克服しようと思っていましたが、
うつ病と診断され現在も、カウンセラーに通っています。 |
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●ペアレンツクラス | |
ペアレンツクラスに、夫と参加して、日本との違いに毎回「カルチャーショック」を受けていました。 |
■出産について | |
●産院にいったきっかけ | |
2005年12月22日は朝から、気が立っていて、夜になってもその気分は変わらず、中々寝付けず、ラウンジで図書館で借りたDVDを、観終わって、「寝とかないとなぁ」と思い、寝室で横になっていると破水らしきものを感じました。 |
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●入院から分娩まで | |
「破水」だと感じた私は、夫に「破水したみたい」と伝えると、「破水はかなり水が出るよー」と信じてくれなく
私は、流れる量の少ない破水もあるのだと夫に説明して、Barthing suiteに直行。
部屋に通され、「23日は妹達が日本から来るのに」と彼に話すと、「心配しないでどーにかなるから」と彼が励ましてくれました。 「無痛分娩」を希望していた私達。すぐにエピジュールの準備をするのかと思ったら、先生が忙しいらしく、5分間隔にくる 陣痛に苦しみながら、その合間を縫って、妹達に私が、迎えにこれない理由を手紙に書いて渡しました。 深夜12時に、病室に入ってからすでに3時・・・。陣痛はますます酷くなり、「笑気ガス」を使用するよう、散々助産婦に言われて、使っていたが まったく効き目がなくて、すでに切れに切れている私。 やっとエピジュールをしてくれる医師が到着。 私の陣痛の合間に、処置をしている。ダンナはエピジュールの針が通るのを見ていて、気分が悪くなったのか、トイレにはきにいった。 エピジュールの処置が終わり、痛みが緩和してきて、時計を見ると朝6時半。妹達はメルボルン空港に8時に到着。 夫は私を一人にできないと思い、義母の所に電話をして、彼女が来るまで待って、空港に向かった。 エピジュール後の私は、まったく違う自分になっていて、助産婦や義母にジョークを言う余裕も出てきた。 夫は10時にまた、病室に戻り義母と交代。その後も雑談をしながら、「その時」がくるのを待っていた。 しかし、最初の頃は「大きいもの」がもよおしてくる感覚があったのに、11時ごろになるとその感覚もなくなっていった。 子宮口は9cmから開かず、医師が「陣痛促進剤」を使うといい、12時まで待ったが、子宮口は開かず帝王切開になった。 |
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●出産! | |
12時半に、帝王切開をするべく処置をしてくれる、病院スタッフ。私はすでに疲労と眠気で意識が朦朧としていて、なすがままである。
ダンナも立ち会うべく、着替えて手術室であう。(オペルームをこの時、Theaterというのだと知りました)
クリスマスが近いので、クリスマス柄のヘアハット・・・。わらかしてもらいました。
何か処置をされているのはわかるが、何をされているのかはわかりませんでした。 「産まれたよー」「男の子ー」と言われ、だんなが先にわが子に対面。私は早く子供に会いたくて仕方がなく、気が焦るばかり。 3590gのわが子をこの胸に抱いた感動は今でも忘れられません。 | |
●入院中 | |
帝王切開だったので5日間でした
最初の日は、道尿されていたので、動けなく2日目からシャワーを助産婦に助けてもらいなが身体をさっぱりさせました。
退院までの4日間は、赤ちゃんの世話、血圧、体温検査、血栓を避けるための注射を毎日されました。 | |
●出産に関するトラブル | |
私は、前駆陣痛で一度バーススウィートに行き、「子宮口が3cm開いている」といわれたのだけれど、翌日痛みもなくなり、家に帰されました。これが出産日の10日前の事です。
その時、助産婦からは「子宮口が開きにくいかもね」といわれていました。
本当は、1月2日が出産予定日で、それにあわせて妹家族が、産後の手伝いに来てくれるはずだったのに、妹家族がつく当日に生まれ、「むかえにいけない」とあせっておりました。 | |
●感想やプレママさんへのアドバイス | |
マタニティ服は、日本のもののほうが優秀でした。また腹帯でしめるという感覚のないオーストラリア、
腹帯やマタニティコルセットがなかったので、日本から送ってもらいました。おなかが大きくなるにつれて
コルセットでおなかを支える事は、動く時におなかが固定されて動きやすかったです。 |
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