■産院・保険・費用などについて | |
地域 | QLD州ゴールドコースト |
出産日 | 2004年9月@日 |
産院や妊婦検診として利用した施設 | GP,産婦人科医クリニック、公立病院(産院) |
産院の名称 | ゴールドコーストホスピタル |
出産の形態 | 陣痛誘発分娩 |
利用した保険 | 初期は無し、25週位からメディケア |
かかった費用 | 総計?$(メディケア適用分?$ 実費約550$)*メディケア無期間有 |
■妊娠中について | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●妊婦検診の方法(施設、時期、回数、費用など) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●妊婦検診の基本的な内容 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
問診、尿検査、血圧、触診、胎児心音確認。 34週からの産婦人科医では簡易超音波装置による検査が毎回。 予定日過ぎてから子宮口の開き具合を診るため内診が1回。 |
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●妊娠中の検査 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●妊娠中のトラブル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《B型連鎖球菌》 検査でB型連鎖球菌が繁殖している事が確認されたので抗生物質のペニシリンを1週間分処方され飲んだ。 が、発疹のアレルギー反応が。ほぼ飲み終わり頃だったので薬はすべて飲み、次の検診時にドクターに報告。 ドクターいわく、B型連鎖球菌をもつ妊婦は分娩時にも抗生物質を摂取しないとベビーに感染する恐れがあるとの事。 ただし、アレルギー反応がでてしまった抗生物質をもう一度使うと更に強いアレルギー反応が起こる可能性もある(妊娠時は特に)ので 「分娩時には必ずペニシリンにアレルギー反応がでたことを担当ドクターに告げ、ペニシリンではない抗生物質を使うように」という事を注意された。 |
■出産について |
●産院にいったきっかけ |
40週、予定日になっても陣痛はこなかったが、少量の出血(おしるし)が。 日本での出産の場合はおしるしがあっても大量でなければ様子をみましょう、というのが一般的だと思っていたのでそのまま様子をみるつもりだったのだが、義母が心配して産院に電話してくれた。 すると診察にこい、との事。診察してもらい、特に異常はなかったのだが、念のために1泊するようにいわれ入院。次の日、退院の際にあと1週間たっても陣痛がこなかったらまた産院に診察にくるようにといわれ診察の予約をした。 予定日1週間後、陣痛の気配がなく、産院へ。内診の結果、子宮口が2cm開いてるとのこと。そして翌日の夜7時までに陣痛がこなければ、陣痛を誘発して分娩しようと提案された。すでに予定日から1週間。日本から家族が来てくれていたので、それに間に合うように産まないと!とも思い(笑)陣痛誘発を承諾。 結局、翌日夜8時になっても陣痛がこなかったので、入院道具一式を持って産院へ。 |
●入院から分娩まで |
夜、ドクターが診察。子宮口を広げるゼリーをまず子宮口に塗布し、子宮口が十分開いたら人口破水し陣痛誘発剤(点滴)を打つと説明をうけた。いつ子宮口が十分開くかはわからない、明朝かもしれないし、午後かもしれないし、翌々日かもしれない、との事だった。この診察の際一人では英語が理解できるか不安だったため夫と日本から来ていた弟(医学生で子持ち)にも立ち会ってもらい詳しく話を聞いた。またペニシリンとB型連鎖球菌の事もこのとき告げる。 その後、家族は返され6人部屋の病室で一人で就寝。陣痛監視装置がずっとついていたので安心できた。就寝の際に周りが赤ちゃんの鳴き声でうるさい事から睡眠薬?を飲むように勧められ飲んだ。しかし、夜中、にぶい腹痛で目が覚める。「陣痛かなぁ?」と思いつつ、陣痛監視装置を眺めるがちっとも一定間隔にならなかったのでそのまま誰も呼ばずに朝を迎えた。 |
●分娩本番! |
朝7時ごろ朝食&夫がきた。その後分娩室(個室)に移され新たなドクターの診察をうけ、再びペニシリンの事などを告げる。子宮口が人口破水させるのに十分ひらいた、と確認された為、箸のようなスティックで人工破水。その後、陣痛誘発剤を点滴。ドクターはすぐにいなくなってしまったが、担当の助産婦がほぼずっと付き添ってくれた。また、夫、日本の母、夫の母も病室にいてもらった。1時間ほどして陣痛誘発剤の点滴が終わると、すぐに5分間隔ほどの陣痛が始まった。また同時にB型連鎖球菌を抑えるための抗生物質を点滴し始めた。陣痛はかなり滅茶苦茶痛く、すぐに笑気ガスを頼む(笑)が、30分くらいでガスも効かなくなり、ペインキラーの注射を頼む。しかし、これも全く効かずに吐いてしまう(ペアレンツクラスで洗面器のある所を学んだのが役に立った)。最後の手段、エピデュラル(硬膜外麻酔epidural)を頼むも時すでに遅し、子宮口が開きすぎていた為、却下。 そのまま、いきんで〜(push)といわれ、母達は退室。ここからもすっご〜く痛くってあまり覚えていないが「もう自分の力じゃ産めないからさっさと吸引機で引っ張り出して〜!!」と内心思っていた(しかし英語がわからず言えなかった)。1時間ほど?いきんで体力が限界に達してきた頃、ベビーの頭がすぐそこにあるのがわかる。が、その一押しができない。もう私にやる気がないのが見てとれたのか、助産婦さんが「会陰切開すればすぐベビーがでてくるわよ〜」と甘い声で囁く。私はあらがう術もなく「お願いしますぅ〜!(涙」。もう一人の助産婦さんがどこからかやってきてチョキチョキ。その後、スッポーン!でました〜〜〜!! 「ほぎゃほぎゃほぎゃ〜」(13時08分) 助産婦さんが臍の緒をチョキン。血がまだいっぱいついて真っ赤なサニーをまず夫が抱っこし、そして私が抱っこし。「おっぱいをあげなさい〜」といわれたけど、どうやっておっぱいをあげていいのかわからなかった私はただサニーの口へ乳首を運ぶ。 泣き声を聞きつけて両母もやってくる。そして父や弟夫婦に姪もかけつけた。みんなに囲まれる中で助産婦さんがサニーをバスへ(このとき弟がとってくれたビデオがいい思い出です)。 ひとしきり興奮がおさまった頃、サニーはどこかへ少しつれていかれて診察と注射をうけたらしい。私もドクターに診察をうけ縫合してもらい、数時間してから自分でシャワーを浴びる。その際に感染予防のためトイレでおしっこもするように注意をうけた。特に産褥ショーツなどはつけず(笑)マタニティパットのみデカパンにつける。 そして出産から約2〜3時間後、6人部屋の病室へ車椅子でサニーと夫と一緒に移動。 |
●入院中 |
入院中は縫合した所が痛い以外は特に問題もなく、母子ともに順調。オムツの換え方や、う○ちのきれいに仕方、おっぱいのあげ方、はては抱っこの仕方まで全然知らなかったのでナースに色々訊いて教わった。 母乳はでたものも、かなり乳首が痛かったので病院で開催されている母乳レッスンクラスに参加するもやはり痛い。 ナースは「ベビーのお世話をする自信ができるまでいつまででも入院してていいのよ〜」と優しく言ってくれたが、入院は3泊できりあげる。というのも、日本の家族が帰国するのに間に合うように家に戻りたかったからだ。 それに入院食が美味しくなかったのも早期退院の理由の一つかも。ゴールドコーストホスピタルの場合前日にメニューが回ってきて好きなものをチョイスできるのだが、なるべく沢山選択しておくと「食べられるものがない〜(涙」というような事態に陥ることが少なくなるのでお勧め。 1日8$ほどでテレビを頼むことができるが、ベビーのお世話と睡眠で精一杯で全く見ることができなかった。 また入院中に出生届の申請書とファミリーアシスタンスオフィスへの申し込み用紙(ミッドワイフのサイン付)を貰ったので暇なときに記入していた。 病院からもらった入院中の持ち物リストにベビー服の記載がなかったので私はもっていかなかったのだが、病院にあったのはTシャツのみ(笑。他のお母さんはみんなボンズのワンダースーツ等ちゃんと持ってきていた。それにベビーワイプも。 何はともあれ退院。早期退院のため、アーリーディスチャージプログラムというナースの1週間自宅訪問制度が利用できることの説明を受けサイン、それからチャイルドヘルスレコードをもらい、日本のようにナースさんたちに玄関で見送られる?事もなく慎ましやかに帰宅。日本だと退院時にセレモニードレスを着るのかな?なんだかそんな雰囲気でなかったので普段着ですましてしまった。 |
●出産に関するトラブル |
私は特にトラブルはなかった。のだが、同じ病室の3人目の子供を産んだ中国系のママさん。エピデュラルを使用したらしいのだが下半身がず〜〜っと麻痺して動かなかった。
ドクターいわく「これはかなり稀な例で、どちらにしても1週間位で正常にもどる」との事だったが、さっさと退院したいそのママさんは大怒り!! エピデュラルしなくてよかったかも?(でも次回は使うと思う)。 |
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